One Camp. Microcosm of the real world. est in YOSHIMA

One CampReport 2021

2021.7.26(MON) - 7.31(SUN)

Report キャンプレポート

2021年のOne Campは、「いちえんキャンプ」として実施しました。

このキャンプの参加費は「1円」。
キャンプで出会うのは、一つの縁で繋がる仲間。
そして、キャンプで過ごす一夏の宴。

Message キャンプディレクターより

「キャンプは人々の力を奪っている?」
「この余島で困ったらみんなどうしますか?ご飯がない。お腹がすいた。どうしよう?」
いちえんキャンプには子どもだけでなく大人も参加していました。みんなすぐにこう答えます。
「YMCAのスタッフに頼む!」
そこで次の条件を加えます。

「YMCAのスタッフは暑いのでもう帰ってしまった。この無人島にみんなだけ。お腹が空いたらどうする?」
ある子どもが手を挙げて言います。
「僕は我慢する!」
「ずっと我慢していたら死んでしまうよ、はい他の人は?」
「はい!僕は虫を取って食べる!」
「なるほど、君は生き残れるかもしれない。では質問を変えます。どうやら自分は病気らしい。病気になってしまった。さてどうしよう?」
「YMCAのスタッフに助けを求める!」
「なるほど。でもYMCAスタッフは暑くて居なくなってしまったんだ。どうする?」
「はい!(先程と同じ子どもが)我慢する!」
「えー!(みんな笑う)」
「おいおい、死んでしまうかもしれないぞ!はい、他の人は?」
「はい。僕は部屋の人に相談してみる」
「お、これは違う意見だね。君は助かるかもしれないよ」

さて、複雑な近代社会に生きる私たちは、「人」よりも「システム」に頼っています。
この問答は実際のキャンプでの一コマです。キャンパーはなかなか「人」に頼る選択をしませんでした。私たちは「人」よりも「システム」に頼ることで力を失い、ついに人に頼ることもできなくなってしまったのです。

そこで私の問いは「キャンプはそもそも人々のシステム依存を加速させ、その力を奪ってきたのではないか?」というものです。私たちは市場と行政に頼って生きています。参加費を払って体験を得るキャンプもまた、システムです。キャンプに参加することの不安を、顔もひととなりも見えないのに「YMCA」というシステムに頼ることで解消しています。

私たちは体験デザイナーです。キャンプ中の体験デザインはみな皆一生懸命やっています。そして多くの場合、その体験は人の「力」を回復するためにデザインされているはずです。しかしここに矛盾を見出すことができます。キャンプに参加するためのシステムを整備すればするほど、人々のシステム依存の度合いが高まり、キャンプで求めていることと逆の現状を引き起こしているのです。

いちえんキャンプは、参加費が一円なので、対価交換システムという感覚を狂わせます。また紹介者を通じたエントリー制度は、システムではなく人に頼ることを予感させます。

キャンプに参加するためのシステムを再考するもの、システム依存したシステムを再設計するのもまた体験デザインの対象です。あらゆる事柄に開かれる構えこそ、閉塞感を打ち破る唯一の「力」なのです。

社会学者の宮台真司さんが提唱する「閉ざされから開かれへ」をキャンプで実践しようと思いついたのが「いちえんキャンプ」です。Partnerキャンプ(2012〜)、One Camp(2018〜)、そしていちえんキャンプ(2021〜)と、私たちはその輪郭を定めず、アメーバのように線を引き直し続けています。多様性と包摂制を兼ね備えた共同体は、絶えず変化する力の連続の中で、生成しては壊れるフォルムのパターンとして現前します。

キャンプの目的は、<社会>という「動かない輪郭」から人々を引っ張り出し、<世界>という「定まらない輪郭」へと導くための扉となるべきです。そしてその扉を何回も出たり入ったりすることによって、いつしか扉の内と外が無くなり、動かない輪郭の中で定まらない輪郭を生きるような人間が生まれてきます。<世界>を内に秘めた存在を<社会>に輩出することが、これからのYMCAの使命なのです。

Camp Director 阪田晃一

Voice キャンプカウンセラーの声

実行委員 
川崎孝子さんより

いちえんキャンプ。参加費は一円。キャンプで人と出会う縁。ひと夏の宴。
コロナ禍で夏の体験の機会がなくなった青少年に対してのギフトのキャンプでした。
通常のキャンプと違うところは参加者が自分で何でもやることと、参加にあたっては人を通じての紹介制でした。

私の勤めている障害者事業所からも5名が参加しました。
ことばが話せない、会話が一方的、感覚が敏感、身体能力が弱いなど、それぞれに障害も様々です。初めてのキャンプ、海は大丈夫か、他のメンバーとうまく交流できるだろうか、障害特性を説明しておかなくちゃいけなかったかな、とか気を揉みながら、私は1日遅れで入りました。
が!余島に着いてみるとそんな心配全く必要なかったんだとわかりました。

インクルーシブというような堅苦しい言葉や形は一切必要なし。そこにいるみんながあまりにも自然にそこに居てキャンプしていました。
会話もはちゃめちゃだけど成り立っていて、変に気を遣ってもらうこともなく、特別視することもなく、お互いに助けあったりする場面もありました。
海に入る時間以外は決められたプログラムがなく、自分たちで選択して決めます。何かわからなければ、誰かに聞けばよいのです(これがとても大事なのです)。いちえんキャンプの「ひとつの縁」があちこちにありました。

スタッフとして参加させていただき、日常の勝手な「こうあるべき姿」という縛りから放たれたようなワクワク感を体験し、私が大きなギフトをいただきました。
このキャンプのためにご寄付くださった皆様、貴重な機会を本当ありがとうございました。

実行委員 
河崎真莉菜(幼稚園教諭・神戸YMCAリーダーOG)さんより

いちえんキャンプやるぞーって初めて聞いたとき、「なにそれ、おもしろそう!」と心がそわそわしました。OneCampを3年間やってた中で、さまざまな思いを持っていた私は、また形を変えたキャンプができることに期待していました。

おもしろい趣旨のいちえんキャンプには、やっぱりいろんな人が集まって、やっぱりおもしろいキャンプでした。6日間の中で、人が入ったり出たり、ずっと滞在する人がいたり、、大人も子どもも大人か子どもかよくわからない人も、とにかくいっぱいいました。

なかでも、A日程で来ていた神戸フリースクールのキャンパーたちとの出会いは、私にとって印象に残るものとなりました。私自身、フリースクールに通う子どもたちとは初対面で、結構人数もいるし、壁というか、(おそらくお互いの緊張による)バリアのようなものを感じ、「楽しく一緒にキャンプができるといいな!」とその気持ちだけアピールしながら共に余島に向かいました。2日目に、全体海水浴をして遊びました。ゲームをして盛り上がって、海で泳ぎ、ばらばらだったキャンパーたちが一体になってきました。海水浴が終わる頃には、もう私はフリースクールの子たちの輪に入り、名前を教えあったり、たわいもない話をするほど打ち解けていました。キャンプが終わり、スタッフの竹林さんから、島を離れる時、「これからなのに〜!もっといたかった、また来年もあるのかな!」とみんなが言っていたことを聞きました。なんかすごく嬉しくなって、単純にまたみんなに会いたいなって思いました。

紹介制(招待制)のいちえんキャンプは、「なんだかよくわからないけど(たまたま)キャンプ場に集まった人たち」が共に過ごし、いつの間にかそれが当たり前になっているキャンプです。

やっぱりキャンプっていいな。と私自身が感じられる6日間でした。

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